時代 |
西暦 |
和暦 |
歴史 |
白鳳 |
622 |
推古二十九 |
推古天皇、田村皇子を遣わして聖徳太子の病気を見舞う。太子、熊凝精舎を大寺と成すことを欲す。 |
639 |
舒明十一 |
百済川の側に百済大寺を建て、九重塔建つ。九重塔と金堂石鴟尾が焼ける。 |
645 |
大化元 |
恵妙法師、百済寺の寺主となる。 |
668 |
天智七 |
丈六釈迦仏像并脇士菩薩等の像を安置する。 |
677 |
天武六 |
高市大寺を大官大寺とあらためる。 |
682 |
天武十一 |
百四十余人、大官大寺にて出家する。 |
684 |
天武十三 |
天皇不豫、群臣百官、大官大寺に詣ず。 |
685 |
天武十四 |
天皇不豫、大官大寺・川原寺・飛鳥寺において経典を読誦させる。 |
699 |
文武三 |
九重塔を建て七宝を施入する。 |
701 |
大宝元 |
下道君首名、大安寺にて僧尼令を説く。大安寺・薬師寺を造る官を寮に准することを定む。 |
奈良 |
711 |
和銅四 |
大官大寺、藤原宮とともに焼ける。 |
716 |
霊亀二 |
大官大寺、平城京へ移る。 |
722 |
養老六 |
元正天皇、供養具と幡を施入する。 |
723 |
養老七 |
元正天皇、一切経を施入する。 |
729 |
天平元 |
道慈、大安寺の造営に関与する。 |
733 |
養老五 |
大安寺僧普照・栄叡、授戒師を招聘するために遣唐使として入唐。 |
736 |
天平八 |
中門・回廊に羅漢画力士像等を造る。唐僧道、インド僧菩提僊那、ベトナム僧仏哲が来朝し、大安寺に住す。 |
745 |
天平十七 |
大官大寺を大安寺とあらためる。 |
747 |
天平十九 |
『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』を進上する。 |
754 |
天平勝宝六 |
普照帰朝、鑑真招聘を成功させる。 |
767 |
神護景雲元 |
称徳天皇、大安寺へ行幸する。 |
平安 |
791 |
延暦十 |
四天王像(興福寺北円堂)造立される。 |
829 |
天長六 |
空海が大安寺の別当に補せられる。 |
859 |
貞観元 |
八幡神が勧請され、唐院が建立される。このころ八幡宮が勧請される。 |
911 |
延喜十一 |
講堂・僧坊が焼ける。 |
949 |
天暦三 |
西塔、雷火のため焼失する。 |
1007 |
寛弘四 |
藤原道長、金峯山詣の際に大安寺に宿す。 |
1017 |
寛仁元 |
伽藍がほとんど焼失する。ただし釈迦如来像はその火難を免れる。 |
1023 |
治安三 |
大安寺再興のため杣師が材を集める。 |
1090 |
寛治四 |
このころ、金堂・回廊・中門・塔などが再建される。 |
1098 |
承徳二 |
講堂再建される。 |
1106 |
喜承元 |
大江親通、大安寺をおとずれる。 |
1116 |
永久四 |
鐘楼が再建される。 |
1140 |
保延六 |
大江親通、大安寺をおとずれる。 |
鎌倉 |
1190 |
正治元 |
銅鐘を勧進。 |
1253 |
建長五 |
宗性、修造を企てる。 |
1298 |
永仁六 |
大安寺など三十余寺を将軍家祈祷所とする。 |
室町 |
1459 |
長禄三 |
大風で金堂の回廊が倒れる。 |
1483 |
文明十五 |
大安寺再興勧進の踊念仏が行われる。 |
1504 |
永正元 |
大安寺八幡宮が焼失。 |
1566 |
永禄九 |
筒井順慶と松永久秀の軍が南門付近で交戦。 |
桃山 |
1585 |
天正十三 |
地震により、金堂が傾く。 |
1596 |
慶長元 |
大地震が起こり、伽藍のほとんどが全滅。 |
江戸 |
1711 |
正徳元 |
海龍王寺僧高籤が大安寺再興を願い出る。 |
明治 |
1882 |
明治十五 |
奥山慶瑞・佐伯泓澄両師が私財を投じて小堂と庫裏一棟を建立。 |
大正 |
1921 |
大正十 |
大安寺塔跡が奈良県で初めて史跡に指定される。 |
昭和 |
1940 |
昭和十五 |
先代河野清晃師が住職を拝命。 |
1956 |
昭和三十一 |
奈良日独文化友の会が発足。 |
1963 |
昭和三十八 |
奈良日独協会と改称。 |
1968 |
昭和四十三 |
旧境内地288,000平方メートルが史跡として追加指定され、史跡大安寺旧境内と改称。 |